漢方薬
ここ数ヶ月間というもの、過敏性大腸炎対策として漢方薬を飲んでいます。
実は数年前にも飲んでいたのですが、ある程度症状が好転したところでやめてしまったのです。
それからしばらくは調子もそこそこ良かったのですが、半年ほど前から再び不調になってきたので漢方薬を再開してみました。
漢方薬は過敏性大腸炎に効果があると言われていますが、率直な感想として飲んだからすぐ治る、というものでもないです。
多少は良くなったかな、という感じがしなくもないですが、いわゆるプラセーボ効果かもしれません。
漢方薬は基本的に保険の対象外ですから、費用的な負担は楽なものではありません。
私の通っている漢方薬局は、顆粒で1日分が420円ほどです。
これを高いと思うか安いと思うかは人それぞれでしょう。
ただ、過敏性大腸炎が少しでも良くなる可能性があるなら、個人的には決して高い金額ではないと思います。
錠剤にするともっと安くなるようですが、効果も比例して下がるようです。
煎じ薬の方が効果もあるそうなのですが、煎じ薬だと月2~3万円の出費になってしまうため、コストと効果を総合的に勘案して顆粒にしています。
金銭的に余裕があるなら、煎じ薬を試すのもいいのではないでしょうか。
最初は「人参湯」を処方されていましたが、それほど好転しなかったので、今は「甘草瀉心湯」を飲んでいます。
これは神経性の下痢に効果があると言われているようです。
「甘草」には、神経を穏やかにする働きがあるようで、精神的な不安やうつにも効き目があるんだとか。
非常に細かい粉末でお湯に溶けにくく、飲みやすいとは言えませんが、味はそれほどまずくありません。
これを1日3回、食事の前に飲んでいます。
なぜ西洋医学でなく漢方薬なのかといえば、生まれ育った家庭環境も影響しているかもしれません。
私の実家は東洋医学に凝っていて、幼い頃から漢方やら民間療法やらに慣れ親しんできました。
特に祖母が医療ミスで低体温症になって以来、医者嫌いで、風邪やちょっとした怪我は原則的に東洋医学的対処をしていました。
もちろん私自身は東洋医学も西洋医学もどちらも一長一短で、症状に合わせて対応すべきとは思います。
が、過敏性大腸炎については西洋医学的な対症療法より、東洋医学的な体質改善の方が効果的であろうと判断しています。
結局のところ、体の病というよりは精神の病だからです。
従って心身を一体のものとして捉え、両面からアプローチしていく漢方医学は、過敏性大腸炎に対して有効なのではないかと思っています。
いわゆるメンタルクリニックに行って、過敏性大腸炎の特効薬「イリボー」を飲んでいたこともあります。
これはききすぎて便秘になってしまい、逆に「ちっとも排泄できていないから、電車の中でしたくなってしまうのではないか」という不安にかられるようになってやめてしまいました。出なきゃ出ないで別の不安に陥る難儀な性格だからこそ、過敏性大腸炎になってしまったんでしょうが……。
とはいえ、世の中にはイリボーで治ったという声も随分あるようですから、試す価値はあると思います。
が、イリボーが効かない方はぜひ漢方も検討されるといいのではないかと。
先述したようにすぐ治る、という感じでもないですが、少しずつ改善されている感覚はあります。
このまましばらく続けていきたいと考えています。
トイレを把握する
過敏性大腸炎持ちにとって、毎日の通勤は戦争です。
電車という閉鎖空間は、まさに恐怖でしかありません。
一つの対策として、私は途中駅のトイレの場所をほとんどすべて把握しています。
心配性なので、駅の構内図をすべて印刷し、時折見返してはトイレの場所を覚えこんでいます。
お腹が痛くなった時に、「次の駅で降りればいい。トイレの場所もわかっている」と考えると、多少安心して、場合によっては腹痛が和らぐことがあります。
とにかく我々のような過敏性大腸炎持ちにとって、不安こそが大敵。
不安が腹痛を呼び、下痢を引き起こすわけです。
従って、不安を軽減するための努力はしてもいいのではないかと思います。
もちろん、それに傾倒しすぎると不安が不安を呼ぶこともあるのでやりすぎは厳禁ですが。
作家の朝井リョウさんも、確か途中駅のトイレは把握している、というような発言をされていたと聞いたことがあります。
健康な人にとってはおよそバカバカしい努力でしょうが、我々にとっては生死を分ける問題です。
トイレの場所がわかっており、いつでも行けるという安心感は、とても大きなものなのです。
だから、未知の場所に行くとまずトイレを探してしまいます。
トイレを拠点に行動する、という癖がついてしまっているのです。
「いざとなれば、ここに戻ればいいぞ」という、我々にとってのいわばベースキャンプなのです。
だから、トイレのない場所に行くのは、現状では無理ですね。
テレビなどを見ていて、芸能人が飲食した後にすぐに車に乗ってロングドライブする光景などをみると、他人事ながら「お腹が痛くなったらどうするんだろう」と心配になってしまうぐらいです。
まぁ、トイレに行けたとしても、空いているとは限らないのが悩ましいところです。
東京の朝の男性トイレの大便器は、異常に混んでおります。
男性の方が胃腸が弱いからだと思いますが、主要駅のトイレはほぼ空いていません。
なんなら、行列ができていることもままあります。
従って、できれば「ここがダメならここ」という第二防衛ラインまで把握しておくと心強いでしょう。
新宿や渋谷、東京といった駅の大便器は本当に埋まってるんです。
ほとんどみんな過敏性大腸炎持ちなんじゃないかと疑うぐらいです。
しかも驚くほど長く出てきません。
中でスマホゲームでもやってるんじゃないでしょうか。
以前本当にピンチになった時は、申し訳ないが長々と埋まっているところをノックしました。そうでもしないと漏れかねなかったからです。
正直、5分経ったら自動で開く、ぐらいのシステムは欲しいところです。
内視鏡検査で確認
過敏性大腸炎に悩まされるようになってからしばらくして、内視鏡検査を受けることにしました。
というのも、素人判断で過敏性大腸炎と決め付けることに抵抗があったからです。
ひょっとしたら、本当に胃腸が悪い恐れもあります。
それならば、きちんとした治療が必要です。
と、このようにすぐに悲観的な考えに襲われるから、過敏性大腸炎になるんでしょうけど。
とにかく、近所の胃腸科を予約して内視鏡検査を受けてはっきりさせようと思ったのです。幸い、東大医学部卒の有名な先生が開いているクリニックがあったので、そこにしました。何年か前に老齢で閉じてしまわれたようですが……。
内視鏡検査では、前日に下剤を飲んでお腹を空にしなければなりません。
グレープフルーツ味で、スポーツドリンクのような感覚だったことを覚えています。
2リットルの水に溶かすので、飲むのは本当に大変でした。
人間が1日にとるべき水分量が2リットルです。
それを数十分で飲むのだから、お腹はダボダボです。
やっとの思いで飲み干すと、割とすぐにお腹がぐるぐるしてきます。
それからはほぼトイレにこもりっきりでした。
しょっちゅう下痢をしているとはいえ、下痢になれるということはないものです。
さすがに下剤の効果は抜群で、最後は水しか出てきませんでした。
正直、二度と飲みたくはないです。
翌日、クリニックにいって検査を受けます。
内視鏡はお尻の穴から突っ込まれます。
抵抗がないわけなのですが、とにかくやるしかないという決意で乗り切りました。
麻酔が効いているので、内視鏡が肛門から進入しても痛くはありません。
とにかく凄まじい違和感だけがあります。
内視鏡が動いて、自分の腸内がはっきり見えたことを覚えています。
実に綺麗なピンク色で、先生にも「実に健康できれいなもんだ」と褒められました。
内視鏡が入っているうちはお腹にガスが溜まります。
「とにかくオナラをしろ」と指示されるのですが、心理的な抵抗もあってそうそうできるもんじゃありません。
が、お腹をしないとどんどん痛くなっていきます。
先生に「ほら!」とお腹を押されると、ブーブーとおならが出ました。
恥ずかしいやら苦しいやらですが、とにかくおならを出すとだいぶ楽になりました。
時間としてはそんなにかからないのですが、腹部の違和感とオナラだしで、精神的には相当消耗しました。
驚くべきことに、検査の1時間後から飲食は可能です。
が、疲れて半日ぐらいは何も食べる気になりませんでした。
幸いというべきか、検査結果には何の問題もありませんでした。
つまり、私を悩ませているこの下痢は、器質性のものではなく、神経性のものだと確定できたわけです。
「内視鏡検査を2年に1回やっておけば、大腸ガンになることはないよ」
そう先生に勧められましたが、以来内視鏡検査を受けたことはありません。
過敏性大腸炎かも……と悩んでいる方は、まずは胃腸の病気でないことを確認するためにも、内視鏡検査を受けることをお勧めします。
少なくとも、悪い病気ではないとはっきりすることで、多少は精神的負荷も軽減されるかもしれません。
過敏性大腸炎発症のきっかけ
私が過敏性大腸炎に悩まされるようになって、はや7年近く経ちます。
どうやら今後も長い付き合いになりそうなので、いっそブログにでも書いて、同じ悩みを抱える人の助けに少しでもなればいいなと思いたちました。
私は現在32歳の男性で、中小企業に勤めるサラリーマンです。
でも、過敏性大腸炎に悩まされはじめる前は、大手の日系金融機関に勤めていました。
自分で言うのもなんですが、そこそこエリートコースを歩んでいたと思います。
会社での評価も同期達に比べて悪くなかったと思うし、給料もかなり良かったです。
が、それも事務系の部署にいる間だけでした。
畑違いの営業系部署に異動してからというもの、どうも水が合わず、もともと好きでなかった仕事が一層嫌いになってしまいました。
そもそも金融にまったく興味がないにもかかわらず、大手から内定が出たという嬉しさだけで入社を決めた浅はかな自分が悪いのですが、異動してからは一層つまらなくなり、毎日が閉塞感に満ちていました。
折悪しく、その頃付き合っていた彼女にも振られ、ストレスは頂点だったと思います。
ちょうどその頃から原因不明の腹痛や下痢に悩まされるようになり、気がつけば電車に乗るのが怖くなってしまいました。
もともと生まれつき胃腸が丈夫ではなく、下痢の頻度は多かったのですが、だからと言って外食が嫌になったり、電車に乗るのが怖いということはありませんでした。
しかし、会社で大きなストレスを抱えるようになってから、何かプレッシャーを感じるような局面、例えば取引先に行かなければならない、だとか、会議でしばらくこもらなければならない、といったときに、お腹がしくしくと痛むようになったのです。
トイレに駆け込むと、嫌な感じの液状化した下痢がちょっと出て、少し楽になります。
けれど、しばらくするとまたしくしくと痛みが起きて、また不安になってトイレに行く…というサイクルの繰り返しです。
おかげで毎日の通勤が地獄になってしまいました。
毎朝早起きしてトイレに篭り、3回も4回も排泄を繰り返し「よし、これでもう出ないぞ!」と思うのですが、電車に乗る直前になると「トイレに行きたくなったらどうしよう」「またお腹を壊すのでは」という恐怖に襲われます。
その恐怖が腸にプレッシャーを与え、いわば自己予言的に腹痛を生み出してしまうという悪いサイクルです。
当時の通勤は電車に25分ほど乗らなければなりませんでした。
普通の人にとっては何でもないことでしょう。
でも、過敏性大腸炎持ちにとって25分の乗車は無限にも等しい長さです。
一心に「お腹は大丈夫」「下痢はしない」と祈るような気持ちで、一駅一駅をやり過ごしていくのです。
お腹を意識すると痛くなるので、なるべく他のことを考えたり、ニンテンドーDSで遊んでみたり、眠ったりしようとするのですが、なかなか気をそらすのは難しいのです。
もともと神経質なので、考えまいとすると考えてしまい、意識がお腹にいくと、しくしく…と痛み始めてしまう。
なんども途中下車をしたこともあります。
トイレに駆け込み、何も出ないこともあれば、滝のような下痢に襲われたこともあります。下痢が出ると、恐怖が強化されてしまいます。
電車にトイレ付きの個室があればいいのに、とは過敏性大腸炎持ちの方なら誰もが夢想するのではないでしょうか。
もしくはどこでも下痢ができるパンツを開発してほしいものです。
300万円ぐらいまでなら喜んで出します。
どこかの研究で、過敏性大腸炎に悩まされる人のQOL、つまりクオリティオブライフ(生活の質)は、相当低いことが明らかになった、という記事を読んだことがあります。
これは全くその通りであると断言できます。
この病に悩まされるようになって以来、毎日お腹のことを心配していまいます。
外食は怖くてできないし、未知の場所へいくとまずトイレを確認します。
トイレの場所がわからないと、不安ですぐにお腹が痛み出してきてしまうのです。
私には妻子がおりますが、彼女たちにも迷惑を掛けるので申し訳ない気持ちになります。どこへ行くにも父親が落ち着かないからです。
遠方に遊びにいくのはかなりプレッシャーですし、ディズニーランドのような混雑するところは特に大きなストレスを感じます。
トイレが混雑していて、入れないことも多いからです。
「トイレに行けないかもしれない」という恐怖に支配されるあまり、どこへ出かけるのも嫌になってしまうのです。
「たかだかお腹が痛いだけで、死ぬわけじゃあるまい」と思われる人もいると思います。が、こればっかりは「なってごらんなさい」としか言えません。
「たかだかお腹が痛いだけ」で驚くほど生活の質が下がります。
思うに、過敏性大腸炎を患う人は、大半が神経質、よくいえば繊細なタイプが多いと思います。
「たかだかお腹が痛いだけ」と思える人は、そもそも過敏性大腸炎にならないでしょう。とにかく、この辛さはなかなか分かってもらえないのが悲しいところです。
さて、私は、過敏性大腸炎だけが原因というわけではありませんが、やはり金融という仕事が自分の人生に大きなストレスを与えている、と判断し、数年前に転職しました。
いろいろな人に反対されましたが、結果としては良かったと考えています。
仕事は面白くなりましたし、給料はもちろん減りましたが食べていくだけはもらえています。
過敏性大腸炎も、多少は好転しました。
が、完治とはいかず、今日まで相変わらず悩まされております。
このブログでは、いろいろ試した結果などをお伝えしつつ、過敏性大腸炎を克服できるその日までの、いわば闘病日記として綴っていきたいと考えています。